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医療従事者不足、医療費の財源問題・・・ このままだと、医師そして医療業界全体が潰れてしまい、日本人の健康を守れなくなってしまう。医師として日々忙殺され、今の状況を傍観したままで本当に自分はいいのか・・・。
そんな医師としての強烈な危機感から、業界の変革に挑んでいる二人のベンチャー経営者がいます。属人的になりがちな医師のノウハウを集合知化する医師限定プラットフォーム「MedPeer」を運営する石見陽さんと、オンライン病気事典「MEDLEY」や遠隔診療ソリューション「CLINICS」を運営する豊田剛一郎さんです。
「医療業界」と言うと、レガシーかつ変わらない組織・・・ 小さなベンチャーが変革を起こすのはとてつもなく困難という印象をもたれがち。しかし、医師兼起業家の二人の奮闘もあり、その状況は少しずつ変わりつつあると言います。
お二人はどのような決意で、またどのような行動を起こしているのでしょうか。医療以外のレガシーな業界、硬直化してしまった組織で改革を起こそうとするビジネスパーソンを奮起させる対談となりました。

PROFILE

- 石見陽
メドピア株式会社 代表取締役社長(医師・医学博士) - 写真右。1999年に信州大学医学部を卒業。東京女子医科大学病院循環器内科学に入局。循環器内科医として勤務する傍ら、2004年12月に株式会社メディカル・オブリージュ(現メドピア株式会社)を設立し、代表取締役社長に就任。2007年8月に医師専用コミュニティサイト「Next Doctors(現MedPeer)」を開設し、現在10万人以上の医師(日本の医師の3人に1人)が参加する医師集合知プラットフォームへと成長させる。現在も週一回の診療を継続し、医療現場に立つ

- 豊田剛一郎
株式会社メドレー 代表取締役医師 - 写真左。1984年生まれ。東京大学医学部卒業。聖隷浜松病院での初期臨床研修、NTT東日本関東病院脳神経外科での研修を経て、米国のChildren’s Hospital of Michiganに留学。米国医師免許を取得するとともに小児脳の研究に従事し、初の英語論文が米国学術雑誌の表紙を飾る。2013年よりマッキンゼー・アンド・カンパニーにて主にヘルスケア業界の企業へのコンサルティングに従事。2015年2月に株式会社メドレーに参加し、代表取締役医師に就任
医師は孤独、現場は疲弊・・・ 二人が共有する強烈な危機感
豊田 石見さんがご自身で事業を起こされたのはいつ頃ですか?
石見 循環器内科の研修医として勤務していた2004年に、メドピアの前身であるメディカル・オブリージュを設立しました。今の主力事業である医師限定の会員制サイト「MedPeer」こそまだありませんでしたが、当時からインターネットを使って医師向けに情報を提供するサービスを手がけようと考えていました。
豊田 創業当初はお一人でビジネスをされていたんですか?
石見 最初はコンサル出身の人材ともう1人の3人で始めたんです。週1日だけビジネス、それ以外は研究というスタイルで、お金のこともサイドビジネスになったらいいなくらいにしか考えていませんでした。でも、1年少しで売り上げが上がるようになって、なんとか3人分の給料が出るようにはなりました。それが2007年に「MedPeer」を立ち上げたタイミングで、臨床医が週1日、それ以外は経営という今のスタイルに180度変えました。
豊田 思い切った決断ですね。
石見 先輩には「今後どうするのか」と言われましたけど、実際に現場にいると、医師一人ひとりが孤独だと感じたんです。これが私の最初の課題意識です。当時は医療不信全盛期で、週刊誌でも医師が叩かれていて。自分たちが知ってる現場と世の中の受け止め方にかなり差があると思いました。
豊田 「医師は孤独」というのは確かに。だから知識やノウハウも属人的ですね。
石見 変化の遅い業界ですし、確固たるビジネスモデルがあったわけでもありません。しかし、当時上場した「mixi」のような医師を横につなげるコミュニティを作れば、医療の課題解決にもなり、ビジネスとしても成立すると思ったんです。
豊田 それで「MedPeer」を始められたんですね。
石見 はい。当時は「Next Doctors」という名称でしたが2007年に始めて、今、会員数は10万人を超えました。日本の医師の3人に1人がサイトに登録していることになります。

石見 豊田さんは医師時代、どんな現場ではたらいていたのですか?
豊田 2008年に医師国家資格を取り、臨床医として静岡で2年間研修して、その後東京の病院に行き脳外科医として勤務しました。当直も月に10回程度あるときもあり、とにかく忙しかったですね。それからアメリカの病院でもはたらきましたし、医師という仕事にも面白さを感じてはいたのですが、このまま続けていたら医師である自分もそうだし、「医療業界全体が潰れてしまう」と思ったんです。
石見 「潰れてしまう」というのはどうして・・・?
豊田 当直をしていると、「本当にこの当直は必要なのか」と思うことが多くありました。「医師が院内にいることに意味がある」という側面があるのは理解できるのですが、医師不足ならもっとこの当直システムを効率化しなければいけないのではないかと。こうした必要な効率化をせず、むやみに忙殺されていく状況で医師が疲弊してしまっている面もあると思いました。
石見 確かにそういう状況はありますね。
豊田 もちろん自分としては医師としてのやりがいもあり、それが辛いというわけではなかったのですが、こうしたシステムが本当に継続していけるのか、疑問に感じたんです。それで、当時の上司に相談したら、「それは正論だから、医療業界を出たほうがいい。医療を救う人になりなさい」と言われまして。尊敬する先輩も、「もし今、俺が35歳までだったら、医師を辞めてるだろうな」と背中を押してくれました。
石見 それは切実ですね。
豊田 もちろん、「医師として一人前になるまで医師をやったほうがいい」「専門医になるまでやれ」と言う先生もいましたけど、上司には「研修やって、ドクター取って・・・ そのうち気づいたら40歳になるじゃないか。だから、とりあえず早く出ろ」とも言われたんです。
石見 その上司や先輩の意見は正しい。それに、起業するなら年齢的にも早いほうが。始めのうちは、当直並みに辛いじゃないですか。体力が絶対必要ですから。
豊田 はい。これだけ課題が山積みで、規制も厳しくて、「中の人からの抵抗もある」という業界もなかなかないですからね。
石見 確かに。それに、豊田さんのように「現場感をもった中の人が変える」というのが重要ですよね。それが、私が現役で医師を続けることにこだわる理由でもあるんです。
豊田 それが石見さんのすごいところですよね。
石見 医師として、「何のために医療をやってるかわからない」「人のためになってるのかわからない」という思いを抱えながら仕事をしなくてはならない現状は、不幸です。だからこそ、ちゃんと医師が仕事に打ち込める環境やシステムを作ることがわれわれの役目だと思います。

行政、世代、地方・・・ 医療業界ならではの変革の難しさ
石見 医療業界を変えるべく、メドレーに入られる前、マッキンゼーに行かれたのですか?
豊田 マッキンゼーには勉強するつもりで入りました。マッキンゼーの方も「それでいいよ」と言ってくれましたし、実は医師の社員もすでに何人かいたんです。しかもみんな同じように、「医療を変えたい」という思いでマッキンゼーに入った人ばかりでした。
石見 そうだったんですね。行政機関や政治的なアプローチから課題解決する選択肢を考えたことはありませんでしたか?
豊田 ありました。マッキンゼーに行く前に、行政機関にいる友人にも話を聞いたんです。そのうえで、「民間のほうが業界を変えるきっかけは作りやすい」と感じました。
石見 というと?
豊田 最終的に変えるのは国でなければならない部分もありますが、行政が動き始めるきっかけとなる動きや流れを作るのは民間ではないかと。それこそ医療業界では、スタートアップのほうから「今の制度はおかしいのでは」という雰囲気を作ることも必要だと思ったんです。
石見 どうしても動きが取りにくい行政の側からだと、課題を解決するのは難しいと。
豊田 それで、マッキンゼーの途中からは、「これは自分でやるしかないな」と考えていました。その頃に(メドレーの創業者で代表取締役社長の)瀧口から「代表として来て一緒にやってほしい」と誘われたんです。それでメドレーにジョインしました。
石見さんが医療業界を変革する当事者として、難しさを感じるのはどんなときですか?
石見 医師10万人を保有するプラットフォームとして、医師のワークシェアリングなどいろんなアプローチで 「医療の最適化」に取り組んでいますが、医師は「公共財」なのにとにかく人が足りていない。もっと効率的な方法はないかと考えるのに腐心しています。
豊田 「公共財なのに公共のガバナンスが効かない」という他業界とは違う仕組みですよね。「国民皆保険」といっている割に、医療機関の多くが民間のため、直接的なガバナンスが効かない。行政が施策を考えても民間に普及しづらく、診療報酬で間接的にガバナンスを行っている状況。ビジネスで捉えると、こんなにいびつな業界はない。
石見 変革の難しさは、世代によるところもあります。私は今、42歳ですが、やはり上の世代だと頑なな方も多い。「先生、先生」とありがたがられることが当たり前だったわけですから。
豊田 それは感じます。
石見 豊田さんくらいの世代だと、だいぶ医療サービスに対する意識や、患者側との関係性も変わりつつある気がします。インターネットでアクセスできる情報が増えて、患者が医師を選ぶ時代になって、都市部では特にそういう傾向は強いですね。
ただ、医療は全国あまねく地域を考えなければなりませんから、そこは意識しなくてはなりません。イノベーションは東京から始まっていくと思いますが、全国に波及していくとなると、地方ではそれなりの抵抗がありそうです。
豊田 遠隔診療はまさにその最たる例です。よく「インターネットで情報を届けるというけど、ネット環境のない人はどうすればいいんですか?」と聞かれるんです。医療はユニバーサルアクセスというものを特に求められる分野ですから。
石見 わかります。そう言っていては何も始まらないのに。

変革のカギは、大前提の目的と中から変える覚悟
石見 現状のままだと解決されない課題があるのに、何も始まらない。レガシーな業界の典型です。
豊田 まさに。
石見 ならば、当事者、医師である自分が、他の大先輩の医師を説得しにいって、現状を伝え、中から変えていくしかない。
豊田 そうしていかないと、日本は変わりません。遠隔診療の問題も、行政が「インフラやタブレットを完備してでもそうするべき」となれば、それをいつでもできるように、私たちは民間として少しずつでも広めていかなくてはならないと思います。
石見 「全国の誰一人として漏らしてはならない」というのが行政なら、民間として一穴開けられればいいと思っています。そこで有用性がはっきりと現れてきたものを行政が取り入れるという方向性でも変えられるかもしれない。
豊田 そうですね。一方で、2014年のメドピアさんの上場も大きな契機だったかもしれませんが、ここ数年で医療業界はずいぶん変わってきたようにも感じているんです。
石見 そうかもしれません。私が起業するときなんて、「せっかく医師になれたのに」と親は泣きましたからね(笑) ちょうどITベンチャーのイメージが悪かった頃だったこともあり。
豊田 いまは、「ドクターが現場を離れるのもアリ」という雰囲気が出てきていますし、他の業界からも優秀な人材が来てくれるようになっています。3年前なんて、見向きもされなかったと創業者の瀧口も言っていました。ビジネスサイドもエンジニアも、「医療ITで何ができるんだ」という雰囲気だったんだ、と。
石見 そういう雰囲気はありました。
豊田 われわれと同じような医療従事者たちが変わり始め、医師たちの思いが他の業界の人たちにも伝わりつつあるのかなと思います。
石見 他の業界の人たちからはどんな声が聞かれますか?
豊田 うちの非医療従事者のエンジニアは、「こんなにファジー(曖昧)な世界、なかなかないですよ。ロジックが通用しないじゃないですか!」なんて言ってます。
石見 どういった状況でしょう?
豊田 例えば、臨床をやっていると、「病名はわからないけど、経験値からひとまずこの治療方法で進めよう」と、いくつか病名の候補を挙げながら、診察と治療を同時進行して、最終的に病名を一つに絞りこむ、なんてことはいくらでもあるんです。そのファジーさを受け入れることこそが臨床なんですよね。
石見 そうですね。
豊田 けれども、エンジニアはコードに落とすために厳密に定義しなくてはいけない。何がファジーなのかを明確にして、それを残したまま、コードに落とす・・・ というのは、エンジニア泣かせなんです。しかし彼らは、それを面白いと思ってくれ、その先に広がっている「日本の医療を救う」というビジョンを考えながら、この分野でやっているやりがいを感じてくれています。
石見 医療ITの分野に仲間が集まり始めているのは、私も感じますね。エンジニア、ディレクターなどバックボーンの異なるメンバーが集まっていますから、モチベーションも異なります。そういった部分を医師からいきなり起業して、マネジメント経験なんてなかった状態でコントロールしていくのは苦労しましたし、今も試行錯誤しながらやっていますが。
豊田 わかります。医師は結局、個人。医療業界は「個人商店の集まり」ですから。
石見 しかし、医療業界はこれから数年でさらに変わっていかなければいけません。医療ベンチャーによる資金調達も活発になって、サービスに関わる技術が進化してきて、そして「2025年問題」と言われる爆発的な高齢者比率の高まりと医療費の財源の問題・・・ 状況的にはもはや待ったナシです。
豊田 高齢者や医療財源のことを考えていくと、いくらでも悲観的になれると思うんです。けれどもなんとか明るい話題にできるように、自分たちのサービスで仕組みを徐々に変えていって、それをスピード感をもってやっていきたい。国が動くくらいになれたらいいですね。
石見 規制が多い業界ではありますが、だからといって今のタイミングで行政が変わらなければ、医療業界自体が崩壊します。それに、「患者さんを救う」という大前提の目的さえズレていなければ、医療業界も製薬業界も受け入れてくれるはずです。
豊田 みんな、目的は同じはずですから。自分の子どもが「日本で生まれてよかった」、そう思える社会であってほしい。医療ってそう思える理由の一つになれると思うんです。当社の社員もよく、「子どもができてから自分の仕事を見つめ直した」と話しているんですが、若くて健康ゆえに医療に接してこなかった人たちが、最初に医療の問題に直面するのは親か子どもに何かが起きたときなんですね。そういうなかで、われわれのようなサービスを通して、「もっと医療は良くなるのではないか」という考え方がより多くの人に浸透すると、医療は正しい方向に変わっていくんじゃないか。そういう考えを伝えていくことが一番重要なことだと思っています。
石見 まさに。自分たちでやるべきことは決まっていますから、あとはとにかくあきらめない覚悟です。

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[取材・文] 大矢幸世、岡徳之
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